富田護国神社(新南陽護国神社)は、明治2年(1869)、徳山藩山崎隊の戦没者23名を祀る招魂場を富田永源山頂に創建したことに始まります。
山崎隊は、慶応元年(1865)に徳山藩が農・町民の有志150人(のち230人)によって編成しました。当初は、富田村庄屋の岩崎庄左衛門を賄方として「富田隊」として創設され、新町の浄真寺に陣が置かれました。
慶応2年(1866)の四境戦争では、主に徳山周辺の防衛を務め、翌年には小倉城防備にあたり、さらに京に進んで鳥羽・伏見の戦いに、明治元年(1868)には、秋田に上陸したのち北海道での戦闘に参加しました。明治3年(1870)の脱退兵鎮圧まで徳山藩の主力として戦いましたが、明治4年(1871)、徳山藩が山口藩と合併する際に解散しました。

引用元:富田地区の史跡

護国神社注連縄奉納
新南陽護国神社

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