献眼活動を始めて節目の20年目に二名の方に崇高なる献眼を頂き、消極になりかけた心を励まされ活動にも身が入るようになりました。
◆心に残る言葉◆
平成24年9月23日に、私が献眼活動に携わっていることを良く理解している親しい方から御尊父様の献眼の申しでがありました。クラブでは5人目の献眼となりました。
◆実は、お父様が入院されて状態が良くない話は聞いていたのですが、献眼のお願いは迷っていたのでが思い切ってお願いしたのです。ご返事は ◆いつ言われるかと待ってました◆ 素直に早くお願いすべきだったと反省したものです。
◆会員御母堂の献眼◆
平成25年年5月26日に会員の御母堂の献眼をいただきました。会員ご自身は献眼活動を積極的にされていたのですが「“母が亡くなった”」と連絡を頂いたのですが、献眼の話が出ないので、献眼はどうされます、と聞きましたところ、『おっと忘れちょった』6人目の崇高なる献眼となりました。
献眼にご理解があっても身内が亡くなり、ご葬儀を出すと言う事は人生で最高の出来事です、そうした環境の中で献眼の申し出を頂く事は正直難しいものと感じております。
◆松坂(元)ライオン二人目の献眼◆
平成26年7月24日松坂様のご長男が56歳で急逝されました。松坂様は御母堂に続いてご長男も献眼申し出がありました。
◆ 実は松坂様のご長男は新南陽若山ライオンズクラブが献眼登録を始めると同時に献眼登録もして頂いておりました。逝去される前の日に松坂様から相談をうけまた。「長男の容体が悪いので、その時は献眼をしたいが長男の嫁に話に行ってくれないか」とのことでした。私は承諾して奥さんに話にいったのですが、快く承諾して頂きました。そのとき帰宅しておられた大学生のお嬢様が側で話を聞き言われたのです「お父さんの顔ぐしゃぐしゃになるんじゃーない」奥さんは冷静に「そんなことはないのよ、ちゃんと義眼も入れて下さるし顔も瞼もそのままよ」奥様の見識とご理解に感激致しました。7人目の崇高なる献眼となりました。
◆献眼ご家族それぞれの思い◆
◆献眼はご家族の対応次第です、ご家族が日頃から献眼を正しくご理解頂いていなければ献眼の申し出は絶対にありません。
◆ 亡くなったら火葬場で荼毘にされ骨だけ残りあとは灰となる、角膜だけでもこの世に残り失明者に光が届けられれば本望。
◆ 故人の角膜は失明者に光を灯し、その方を通して私たちを見守っていてくれる。