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若山城は周防国都濃郡富田(現周南市)にあった日本の(山城)。守護大名大内氏の親族であり歴代その重臣でもあった陶氏の本城であります。県指定文化財(県指定史跡)
城の概要 連郭式の中世山城で、若山山頂(標高217m)の本丸を中心として、東側に伸びる尾根に二の丸と三の丸、西側に伸びる尾根には西の丸と蔵屋敷が配されていた。これらの連郭部分は差し渡し約400m。各所に空堀・堅堀があり、特に本丸の北東側には畝状堅堀の跡が多数現存する。西の丸の一部には石垣も見られる。山陽道や瀬戸内海を望む交通の要衝に位置しており、海からの攻撃を防ぐため、二の丸から本丸に連なる部分や東側の尾根などに壇床と呼ばれる段々状の曲輪がある。若山の西側には的場川とそれを挟む狭い低地があり山口に至る街道を形成している。東側は深い谷を挟んで嶽山(標高364m) があり、その向こうの平野には陶氏の居館、平城の跡がある。現在では若山城址として整備され、二の丸・三の丸までは車で登ることが出来る。
1973年(昭和48年)南陽町が登山道開設 1987年(昭和62年)若山城跡が県指定文化財(史跡)指定
※陶の道を発展させる会 代表 中村秀昭さんは昭和43年(1968年)に青年団長として「若山城址第一回新春登山」を企画したのが始まりでした。当時の若山城址登山はウサギ道で本丸跡は荒れ放題でしたが、地域の史跡の復活を願い、大多数の反対を押し切って「城跡公園化事業」を提案し山道の整備、本丸跡の標識、トイレの設置等に取り組み、本丸跡に明治100年記念桜の植樹を行いました。ここから、中村さんの若山城址にかかわる本格的な活動が始まり現在に至ります。
若山城主、陶晴賢生誕500年を記念して、地域の文化を守るために永年取り組んでいる「陶の道を発展させる会」(中村秀昭代表)の活動に対し当クラブの名前の由来となっている事もあり高齢化等で周南市の貴重な歴史等が失われないように保存し、将来に引き継ぐお手伝いをしたいと思います。
※新南陽若山ライオンズクラブ支援事業 陶 晴賢生誕500年記念行事
※ 令和3年2月21日 河津桜 3本記念植樹 整地作業
※陶の道を発展させる会 中村代表に河津桜贈呈
河津桜を3本植樹 左 中村代表
植え付け 蔵角ライオン 記念植樹完成 10年先が楽しみ
※ 中村代表へ盛貞会長より のぼり旗贈呈
※ のぼのり旗 2本設置
陶氏と若山城は 我らの誇りなり !!
祝 陶晴賢公生誕 500年 !!
※若山城の基本情報参考
通称・別名 富田若山城 周防若山城 所在地 山口県周南市福川 旧国名 周防国 分類・構造 連郭式山城 天守閣 なし 築城主 陶弘護 築城年 文明2年(1470) 主な城主 陶氏 廃城年 弘治3年(1557) 頃 遺構 曲輪・石垣・堀切・堅堀 県史跡(若山城跡) 周辺の城 周南市 勝栄寺 米光城・徳山城・藤掛山城・須々万沼城 下松市 末武城 防府市 敷山城・右田ケ岳城 山口市 白水山城・大内氏城館