“ 母の献眼 ”平成12年10月 新南陽市広報 [まど]に掲載より山本二雄
去る6月19日、明治から平成へと激動の時代を生きぬいて92歳で永眠した母が、最期に家族に託して逝ったのは、暗闇で愛の光を待ち望んでおられる方々への献眼でした。母の崇高な気持ちをかなえるために、山口医大の先生の指示通り枕を高めにして、開いたままの瞼をそっと閉じてみますが、どうしても閉じません。姉妹達も心配して濡れタオルを用意してくれたり、準備万端ととのえて待つ間、濡れタオルをそっとはずして見ましたら、息を引き取る前の濁ったような瞳が、なんと透き通った黒ダイヤのように綺麗な眼をしているではありませんか、それを見た瞬間、こんな尊い眼を灰にしてなるものかとさえ思いました。同時に母が「つぎさん(私の愛称)早うとりさんよ」と云っているように思えたのは、私の勝手な解釈でしょうか、終戦前後食べるものがが無い時代、母と共に身を粉にして汗した絆が、母から私への最後の愛としてアイバンク運動を熱心にしている私の顔を立ててくれたのです。
摘出手術は母のベットで終了し立派な義眼も入れて頂きました。終戦後、生活の厳しい時代に誰が訪ねて来ても、いやな顔一つせず温かく接してくれた人間愛に満ちた母の勇気が、愛の光の道しるべとして、暗闇で光を求めておられるお二人の生涯をとおしてお役に立つのです。
今、山口県には暗闇の世界で約70名の方々が角膜障害で愛の光を待っておられます、この方たちは角膜移植さえすれば完全に光を取り戻されるのです。献眼により一人でも多くの方が視力を回復されることを念願致します。
お葬式を済ませてしばらくは母のことを思うたび涙がとまりません。会社から帰る道すがら信号待ちしていると、ふーと 蛍がフロントガラスを横切ったのです。時期おくれのホタルが母の姿に思えたのです。
◆ 逝きてなほ 光みちびく 母ほたる ◆